みちのく真田-阿梅姫と白石市阿梅姫と白石市

阿梅姫

阿梅姫

大坂夏の陣で自らの最後を悟った真田信繁公は、敵将である伊達の先陣片倉小十郎重長公に密かに息女「阿梅姫」を託しました。後に阿梅姫は重長公の後室となり、二人は仲むつまじく暮らしました。重長公に愛されたのはもちろん、民に愛され、天寿を全うし、今もなお白石市民に愛される阿梅姫。
白石市に女性に人気の、縁結びなどのパワースポットが点在するのもそのためではないでしょうか。
愛もパワースポットも、与えられるものではなく自らが感じるものです。
白石市に来て、阿梅の想いを体感してください。

みちのく真田-白石市の史跡史跡

歴史と伝統が息づく城下町白石で阿梅の浪漫と史跡を巡る

みちのく真田-白石城

白石城

慶長五年(1600年)、関ヶ原合戦の直前に伊達政宗が白石城を攻略し、その後、伊達氏重臣片倉小十郎が居城、大改修を行い、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、白石は城下町として栄えました。

みちのく真田-当信寺

功徳山 当信寺

白石駅から程近いこの寺の山門は、白石城の旧東口門が移築されたもの。廃城前の白石城を今日に伝える貴重な遺構となっています。
また、真田信繁(幸村)公の遺児・阿梅姫、大八の墓がひっそりと建っていることでもぜひ立ち寄りたいスポットです。

みちのく真田-田村家の墓

田村清顕公と真田信繁(幸村)公の墓

 片倉小十郎景綱公のお墓がある 「片倉家御廟所」からすぐ近くに伊達政宗公の正室愛姫の父、田村清顕公の墓があります。そしてそのすぐ隣には、清顕公の孫である定廣が建立した信繁公の墓があります。定廣の妻は信繁公の姫君阿菖蒲です。

みちのく真田-清林寺

真田家遺臣が開基 清林寺

開基したのは、真田家遺臣・三井奉膳の二男、三井豊後で、京都西本願寺准如上人の弟子となり、寛永11年(1634)一宇を創立して善久坊と称しました。万治2年(1659)本願寺良如上人の時に、清林寺と改称しました。寺紋は真田家の紋所「六文銭」です。

みちのく真田-観光・グルメ観光・グルメ

老舗旅館と温泉・グルメ、城探索と甲冑体験

みちのく真田-白石市-甲冑体験

甲冑試着体験(白石城)

戦国武将の甲冑を身にまとい記念撮影をしてみませんか?
実施日などの詳細はホームページをご確認ください。
ホームページはこちら

みちのく真田-白石市-弥治郎こけし村

弥治郎こけし村

こけしのふる里弥治郎集落は、江戸時代の初期から続くといわれる小さな木地師の集落。弥治郎こけしの特徴は、ベレー帽のように彩られたろくろ模様の大きな頭とろくろ模様が多用された胴体です。現在では観賞用として子供だけでなく大人の目も楽しませてくれています。

みちのく真田-白石市-うーめん

白石を代表する郷土の味覚「白石温麺(しろいしうーめん)」

「白石温麺」は約400年の伝統を誇る白石の名産品。油を使わず小麦粉と塩水で作られるので、舌触りも良く消化に優れています。市内には温麺店が多く、各店ごとに個性豊かな温麺を味わうことができます。

みちのく真田-白石市-鎌先温泉

山あいにわく奥羽の薬湯 鎌先温泉

600年以上も昔、里人が鎌の先で発見したと伝えられる鎌先温泉は、「キズに鎌先」と言われ、奥羽の薬湯として知られています。
【問い合わせ】0224-26-2042(白石市観光案内所)

みちのく真田-白石市-小原温泉

四季の彩りが美しい渓谷のいでゆ小原温泉

平安時代後期、源義経の家来 常陸坊海尊が発見したとの伝説が残る。「目に小原」と言われ、多くの人々に親しまれています。
【問い合わせ】0224-26-2042(白石市観光案内所)